マリ・キュリー(1867年-1934年)
放射性元素であるラジウムとポロニウムを夫ピエールと共同発見し、その後にラジウムを分離する方法を開発する[15]。
彼女は研究試料からの放射線を長期間にわたって被曝したことで再生不良性貧血となり、これが原因で死去したと言われた。近年、医療用のエックス線の過剰被ばく(第一次大戦等で戦傷者の撮影に従事)によるとの説が有力視されている。いずれにせよ当時は、放射線の危険性はまだよく理解されていなかった。
キュリー夫人 (Madame Curie) として有名である。 1867年11月7日、ワルシャワ生まれ。放射線の研究で、1903年のノーベル物理学賞、1911年のノーベル化学賞を受賞し、パリ大学初の女性教授職に就任した。1909年、アンリ・ド・ロチルド (1872-1946) からキュリー研究所を与えられた。 109キロバイト (15,376 語) - 2021年7月16日 (金) 04:18 |
こわい
被爆で死ぬのってガチで辛いんやろ
全身皮膚が剥がれて地だらけになるんやっけ
>>6
極端な急性被爆だけやろそんなレベル
最初は健康に良いって言われてたらしいね
ソースはYoutubeゆっくり動画
>>8
アメリカでは放射能入りの牛乳が健康食品として売られてたとか聞いたが
>>11
ヌカコーラやん
結構有名な話やない?
人の犠牲によって安全が作られていくんやな
なんやっけ光ってた時計の文字盤塗り塗りするやつ
>>13
蓄光け?
遺品がやべえんだっけ
被曝の危険性が分かるまではこういう物質は万能薬の素になると考えられていたからな
ノーベル賞2回ってすごいよな
5Gがこれになるんやで
キュリー夫人の研究用ノートは100年が経過した今も放射線を出している
キュリー夫人は研究のためにポロニウムとラジウムを小瓶に入れて常に持ち歩いていたのですが、研究用の標準服以外に放射線から身を守るような服は何も着ていなかったそうです。キュリー夫人は研究に用いた放射性物質が原因で再生不良性貧血を患って、1934年に66歳で亡くなっています。
>>24
常に持ち歩くとか歩く核兵器かよ
>>24
割と長生きしとるやんけ
ラドン温泉と同じやろ
で?
Falloutの戦前企業みたいなノリがリアルであったんだよな
>>35
日本やって覚醒剤フリーで普通に仕事やる時に駐車売っててらしいやんな
そんな騒ぐほどやばいかね
フグ食って死んでいった先人と感覚的には同じだろ
その時代にはそれが危険な物だって認識が無かっただけ
ただその人たちのお陰で今ワイらが安全に暮らせてるわけやしな
ホンマ感謝せな
椅子を背負って寒さをしのいだとかいう脳筋逸話ほんとすき
>>39
伝記漫画で読んだわ
放射線は目にえない上に近づくだけでやばいのに、ちゃんと防御策を考えられたのはすごいな
犠牲が多そうだが
彡(^)(^)「職場にめっちゃ綺麗な棒落ちてたわ!!持ち帰ったろ!」
1971年9月、千葉県内のある造船所の構内で、作業員が非破壊検査用の強力な放射線源であるイリジウム192(5.3ci,1.63E12Bq)を拾った。
それが何なのかわからないまま好奇心からズボンのベルトにさし、下宿に持ち帰った。下宿を訪ねた5人とともに6人(年令:20~30才)が被ばくし放射線急性障害が生じた。
そのうちの1人は、右手の潰瘍(かいよう)と糜爛(びらん)を繰り返し、22年後に血管の萎縮による右第1指(親指)と第2指(人差し指)の拘縮と骨の萎縮、病原菌による感染と疼痛が生じ、この2本の指を切断した。
(出典 atomica.jaea.go.jp)
この業績で享年66歳てちょっと往生したようなもんやな
有名な話やと思うでワイはなんjで最近知ったし
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